女体化とマゾヒズム

 幼少期。僕はまるで女の子のように可愛らしかった。写真を見返すとそれは一目瞭然だ。運動会の写真で、体育座りをしているのだが、体操服から伸びる太ももは女の子と見紛うほどに綺麗でいて、美しい。今のゴツゴツとした僕の顔からはおよそ想像もつかないが、では当時の僕はどうだったかというと、この女の子のような容姿が嫌で嫌でたまらなかった。
 僕は、自分の女の子のような身体を自覚していたし、「男だから」という免罪符を盾に、過剰なスキンシップを取る男の子たちが何より嫌だった。人のいないところで突然抱きついてくる奴もいたほどだ。男の子は野蛮だと思ったし、女の子はとても大人しくて、話が合うと思っていた。男の子からのセクハラを受けたという点で、僕は女の子の気持ちが、普通の男よりはわかるつもりだ。しかし、この成長の過程は僕に歪んだものを残すことになる。
 「らんま」との出会いは衝撃的だった。お湯を被ると男に、水を被ると女になってしまう早乙女乱馬。女のらんまが、男からセクハラを受けるたびに、もしもっと滅茶苦茶にされてしまったら、らんまはどうなるのだろう…。と子供ながらにドキドキした。こういった緊張感があると性的興奮のメーターは振り切れるものだ。らんまで性癖が目覚めた人も少なくはないはずである。
 僕は女の子になってしまう男の子、というジャンルに、ひかれるようになった。当時の僕はまだ小学生であった。未発達で、女の子と身体つきがあまり変わらないところがある。僕は親のいない隙を窺っては、白と黒の体操服に着替え、鏡の前でくねくねとポーズを取った。今ここにいる自分を誰かに滅茶苦茶にしてほしい。という被虐的な気持ちだった。僕は変態だ。異常者だ。いつもそう思っていた。小学生の高学年の頃に、家に遊びにきた兄貴の友達が僕をみて「弟可愛いね」と言ってくれたときは、この人になら何をされてもいいかも…と、ウットリとした気持ちになった。異常である。が、セクハラをされてきて、女の子としたの思考が実は身に付いていたのかもしれない。
 ところが、思春期を迎えてニキビがブツブツになると、僕から女体化の願望は消える。女体化のジャンルにひかれる、という性癖だけは残り続けることになる。
 大学生になり、多少お金に余裕が出来ると、ふとニューハーフの風俗に行くことを思い付いた。既に何回かマトモな風俗に行った僕である。幼い頃の欲望を今こそ果たそうと、意気込んだ。
 目的は大阪のニューハーフ風俗である。扉を開けて、指名する。ニューハーフが来る。僕は彼の身体を弄びながら「いつから女の子になりたいと思ったの」と聞いた。すると、「最初から女の子と思ってたよ…。」と返ってきた。なるほど、僕は勘違いをしてきたようだ。
 彼は最初から女の子だったが、僕は女の子になる過程を重視していた。僕が女体化の願望を持っていたのは、真っ当なホモや、ニューハーフの願望でなく、女体化という要素にマゾヒズムを見ていたからだった。どっちみち、変態なのだが。
 今でもTSや女装、女体化への願望は少しはあるが、女の子が恋愛対象になることもある。これは僕がバイであるというより、歪んだマゾヒズムの表れなのである。

きぬかけの道

河村はきぬかけの道が好きだ。両端に、ズラーっと竹林がそびえていて、まさしく京都だという趣があるからだ。河村は、京都の私立大学、立命館大学の1回生である(関西だと回生呼称である)。しかし、せっかく一浪して入学した立命館大学では、河村は1人も友達を作らなかった。彼は当初こそ、友達を作り、勢い彼女も出来れば良いなと意気込んでいたのだが、入学して1月が過ぎ、2月が過ぎ、そして夏休みに入るころには、もう河村には何の気力も無くなっていた。クラスという閉鎖空間での人間関係と、大学の自主性が重んじられる人間環形とでは、少し勝手が違ったのもあるが、ひとつ確かに言えるのは彼には臆病な気質があることであった。
 故郷の島根より京都に来て、一浪した手前、おめおめと家族のもとに帰るわけにもいかず、河村は一日を無言で送る日々が増えた。「華の大学生活なのに…」彼は、自らの状況を省みて、思わずいつもそう独り言を呟いてしまい、同時に、あれほど憧れてきた京都の街並みが、ひどくいやらしいものに感じられた。
 空きゴマの時間、彼は持て余した暇を、きぬかけの道の散歩に費やす。立命館大学の後ろから仁和寺方面に伸びるきぬかけの道は、趣がありながらも、人通りが少ない。妙に見栄っ張りな彼にとって、クラスメイトに遭遇し得ないこの場所はとても落ち着くのであった。





 ここまで書いておいて、結末を付けようにも、どうも面倒くさくなってしまった。なぜ俺は河村とかいう得体の知れない人間の物語を書こうとしたのか、我ながら理解に苦しむ。誰か彼の物語を書いてくれ。

ネットに見る「身体」

 現代人にとって、インターネットは欠かせないものとなってきている。それは、スマートフォンの普及によってますます加速し、もはやスマートフォン以前の生活など、考えられない。ところで、あなたは「メンヘラ」という単語をご存知だろうか。「メンヘラ」とは、メンタルヘルスに問題を抱える人間の総称なのだが、現代では、この「メンヘラ」が多くなってきているようにも思える。精神医学では、最近の患者数はむしろ減ってきているのだが、この「メンヘラ」の増加は、「見る者」「見られるもの」の関係で成り立つ「舞台」としてのインターネットの増加が、大いに関係しているように私は感じる。そこには「ファンタジア」にあるアニメーションとしての「身体」以上のものが関係しているように思える。本論ではネットで何故メンヘラが多くみられるか、「身体」を絡めながら論じていきたい。
1. 舞台とは
 放送大学教材『舞台芸術論』の中で、著者の渡辺守章は、舞台は「演じる者」「見る者」「演じられるもの」「演者と観客を一つに結ぶ空間=劇場」の4つの要素によって構成されていると語る。現代のSNSにおいて、これらの要素はほぼ当てはまると言ってもよい。Twitterで言うと、まずアカウントがある。これが演じる者である。そしてそれを観察する「フォロワー」という「見る者」がいる。「演じられるもの」これはしばしばインターネットで囁かれる「コンテンツ」というものである。そして最後の劇場はまごうことなく「Twitter」である。
 メンヘラは、Twitterにおいてかなり頻繁に見受けられる。彼ら彼女らは、自らの自傷行為の様子を写真に撮ってTwitterに挙げたり、恋人とのLINEをUPしたりする。フォロワーはそれを見て心配し、慰めのリプライを送るが、わたしが思うに、メンヘラは決して慰めのリプライが欲しくて自傷画像を上げているのではないし、「カワイソウなワタシ」を演じたいのだと定義するには、あまりにも十分でないように感じる。人間は「アイデンティティ」がなければ不安定な存在であり、常に自分が何者かを探し求める存在である。メンヘラは不幸を発信し、「見られるもの」がいる空間を通して、はじめて「メンヘラ」という何者かになることが出来るのである。
 これはメンヘラの行動の分析だが、そもそも、「見られるもの」がいる空間が沢山ある現代のインターネット社会は、自分が何者かであることを或る意味発信しやすい、あるいは定義しやすい時代なのだと言える。何者かであることを発信するのは、すなわち「演じる」ということである。次章では、インターネットにおける「身体」が、この「演じる」という行為において、どのような影響を与えているか、説明する。

2. インターネットの「身体」
 渡辺守章は先に挙げた4要素の他に、見る者が見られるものの行動を受け入れる、「虚構的な空間」が必要とする。インターネットは「嘘」と「現実」が入り混じる虚構的な空間であり、その点、一種の非日常性が発生する。インターネットは文字のみのコミュニケーションであり、「二次元」の虚構世界と揶揄されることもあるが、私はインターネットは2.5次元の世界だと言いたい。それには、書き込む人間が現実のものだから、という意味もあるが、重要なのは「アイコン」と「煽り画像」の存在である。
 「アイコン」はSNSにおいてその人の「顔」の役割を果たす、プロフィールの画像のことである。Facebookなどとは違い、Twitterでは二次元のキャラクターや無機質、動物などをアイコンにしている方が多い。タイムライン上でのやりとりを見ると、多種多様なキャラクターが会話をしているような錯覚に陥る。一例に「ネカマ」の存在がある。ネカマとは、中身が男なのに、女のフリをしているユーザーのことであるが、Twitterの「ネカマ」たちは、大概が可愛らしい女の子のキャラクターをアイコンに設定している。これは、アイコンが「顔」という「身体」として認識されていることに他ならない。
 「煽り画像」は、漫画の一コマなど、会話の代わりとして使われる画像の総称である。これも国民的漫画「ドラえもん」の一例を出してみる。画像はドラえもんが「いやそのりくつはおかしい」と言っているシーンであるが、何か異議のあった時にTwitterでこれを使う人間が多い。「煽り画像」で特徴的なのは、表情、声のトーン、勢いなど、文字だけでは成立しなかったコミュニケーションが表現できるところである。一般に、コミュニケーション能力の無い「オタク」たちが「煽り画像」を使うとされるが、彼らからしたら、これほど便利に「身体」を表現できるものはないであろう。
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 以上のことを統合すると、インターネットは「身体」を表現できるものが溢れており、それによって「何者か」を演じやすい空間なのである。ネットのこういった演じやすさについてしばしば「コンテンツ」などと言われるものがある。「メンヘラ」というキャラクターも、たまにフォロワーがまるで評論家のように楽しんでいることもある。こういった風潮について、「私は私の好きなことを呟きたいだけなのに、つまらなくなったと言ってくるやつは何なの?」と怒りを示す人間もいるが、それはTwitterが見る者の関係なくしては成立し得ない「劇場」であることが、暗喩されているのではないだろうか。
3. 終章
 精神病の軽症化が進んでいるにも関わらず、「メンヘラ」が増えているのは何故か。講談社現代新書リストカット』では、メンヘラの性質は伝染するとしている。イギリスのダイアナ妃が自傷行為をしていると公になったとき、世界でそれに相次ぐものが増えた。日本でも藤村操という中学生が自殺したとき、全国で後追い自殺が続いた。現代において、こうした「演じるモデル」が多々にみられること、そしてインターネットという「劇場」があることで、世の中の不幸(一概には言えぬがこの単語を使わせて頂く)な環境の人々は、アイデンティティを求める場として、自分が「何者か」であることを発信しやすい環境が整っているのではないだろうか。精神病者が増えたというよりは、発信できる「劇場」が増えたのである。

*[風俗] さびしすぎて熟女ピンサロに行きましたレポ

先日、ジャズ喫茶「パーラメント」で呑んでいると、マスターが客との会話の途中、盛り上がったのか、側で大人しそうにしている僕のほうに話をフッてきた。「中田さん。風俗いったことはあるんですか。」

 僕はしがない京都の貧乏大学生である。そして友達も少ない。友達が少ないから交際費も少ない。よって、金が余ってしょうがないのである。僕は自炊の節約と、バイト代で貯めたお金を握りしめては、週に一度、京都の木屋町に呑みに出かけるのであった。無論、友達なんていないから1人である。特にそれほど楽しくお喋りが出来る教養もない癖に、居酒屋の常連たちへ温もりを求めていたのは、1人暮らしが寂しかったのか、それともただ、この夜の空間に所属するという、大人な空気に憧れていた気持ちもあったのかもしれない。しかし、1人での呑みは確実に僕の不登校気味な大学生活のモチベーションを、かろうじて支えるセーフティネットとなっていた。

 マスターは続けて言う「中田さんって大学生でしょ。大学生は風俗には行くイメージがあるなあ。」僕は答える「友達がよく行くって言ってましたね。僕はまだないけど。」咄嗟に嘘をついた。少し沈黙が訪れた。「いったい何でいきなり風俗なんです?」僕はわざちらしく愛想笑いを浮かべながら、重ねて質問した。マスターは見抜いているかもしれない。彼はまだ40歳の癖に、まだ20代後半に見える若々しさだが、底の知れない老練なところがあった。「ここの下に、おばあちゃんが椅子を出して座っているでしょ。」「はあ。」「あそこはピンサロに続く階段なんだけど、そこにいる女の子のテクが凄かったんですよ。お客さんと話してましてね。」「なるほど。」僕がそれほど上手く反応出来ていないのをみると、客のほうが話題を切り替えて、マスターもそちらのほうに流れてしまった。風俗。考えたこともなかった。そして案外良い手段なのかもしれない。僕は女の裸体など、20年間生きてきて、幼少期に母親のものを拝んだきり、ついぞ知らぬが、急にポッと僕の生活に飛び出してきたこの単語は、何かとても素晴らしいもののように思われた。

 京都。素晴らしい文化都市である。僕はこの街で学生生活を過ごせることを誇りに思うし、四条鴨川から河川敷に並ぶ夜店の灯りを一望すると、第一志望の大学があった東京という大都会に対し、幾分かコンプレックスが紛れるのだった。木屋町は雨だった。傘を差して歩くには、人ごみのある四条大橋は狭すぎるのか、渡り切るには少々時間がかかる。通り過ぎる顔触れには、北欧系の顔立ち、中国人の家族連れ、大学生の男女などがいて、皆が皆手にカメラを持っていた。橋の中央に差し掛かるところでは、笠を被った法師が、小銭入れの皿を床に置いて、じっと念仏を唱えていた。

 木屋町は、京都の繁華街ではあるが、川の向こうの祇園とは趣が違う。祇園は、京都風の、如何にも高級そうな水商売のお店が並んでいるが、木屋町はもっとごみごみとしており、庶民的である。時には、道端に落ちた吐しゃ物など、あまり京都らしくない風景も見受けられる。僕は先程の「パーラメント」の前を通り過ぎる。入口の側に、もうひとつ入口があり、そこに老婆が椅子を出して呼び込みをしていた。心臓が高鳴る。僕はしばらく迂回して、もう一度戻ってきた。意を決して、老婆の前に行くと、「おや」と、老婆はこの商売を長年やってきた上での愛想の良さだろうか、とても優しそうな笑みを浮かべて、僕に目を向けた。「コースはどうするの」とりあえず一番安いやつがいい。僕は30分5000円のコースを選んだ。老婆はついてこいという仕草をすると、薄暗い階段を上り、僕もついていった。

 ピンサロの中は薄暗い。老婆の顔が判別つかなくなった。僕は、机とソファが置かれた幾つものスペースがある中の、ひとつに通されると、そこで待つように言われた。動悸が速まる。考えてみると、「パーラメント」での酔いに任せて、その場の勢いで行くことを決めてしまったのだ。店内には激しい曲調の、BGMが流れている。どこかこの暗さに僕は、小学校の頃の学芸会で、出番が出るまで潜んでいた、舞台裏の楽屋を思い出した。思えば僕は暗いところが昔から好きである。劣等感の原因である自分の顔が、相手から全く見えない、ということもあるが、暗闇では全てが平等だからである。だから安心感を覚えたのかもしれない。そうなれば、店内の薄暗さは、客にリラックス効果を与えることを狙っているのかも、と僕は1人考えを巡らせていた。

 「こんばんは~」女が来た。僕は目を見張った。女は齢が40の後半はとうに超えたであろうか、水分が枯れた干物のようであった。普通なら、ここで焦るのかもしれない。しかし、僕ははじめての女体の前に、齢など関係なかった。すっかりあがってしまっていた。「こ、こんにちは」「京都は寒いですね~。天気予報だと明日も雨らしいですよ。」緊張を解かすためなのか、女はしばらく世間話を続けた。また動悸が高鳴る。声がかすれる。「手を繋いでもいいですか」しぼるように言うと、女はそっと手を絡ませてきた。しわしわであったが、不思議と安心感があった。「抱き締めてもいいですか」と、次に僕は言った。女の身体が僕に絡まる。僕も絡ませた。恐らく、他人から見ると、僕はとても醜いはずだ。不格好な男が、20以上も年上の、それも老婆と等しき女に、無我夢中ですがりついているのである。僕は、四条大橋ですれ違った大学生の男女を、自然と思い出した。あの二人はまさにキラキラしていて、綺麗だった。あの2人と僕が、同じ世界で生きているということが、どうしてか不思議でたまらなく感じた。男のほうの、パーマがかかった茶色い髪は、恐らく僕とは無縁のものだ。女のベレー帽を被ったファッションも、恐らく僕とは無縁のものだ、恐らく僕は彼ら「主人公」と比べて、お話にさえならないだろう。女の胸は、妙に安心感があった。瞬く間に30分が過ぎると、女は店の外まで送ってきてくれた。最後に「ありがとう」と僕は言って、もう一度抱き締めると、手を振って別れた。女も手を振っていた。

 家に帰ってから下着を脱ぐと、パンツが濡れていた。とても汚いと思ったので、洗濯機の籠に放り込むと、今度は洗面台の鏡をよく見た。そこにも汚いものが写っていた。この顔が女と抱き締め合い、キスをして、手を繋いでいいですかと、いそいそと動いたのだ。化け物だな。と僕は思った。京都は雨であった。外にはざあざあという音が立ち込めており、部屋の中もどこか湿気の目立つ匂いがした。明日も京都は雨だそうである。

まともがわからない

この小さな街にも…奇跡は…あり得る…

「まともがわからない」の一節。彼らの音楽は何だか響いてくる。口に出して、ついつい口ずさみたくなる。そんな魅力がある。嵩増しは思った。
 ゆらゆら帝国というバンドらしいというのは、実は他人から言われてはじめて気付いた。Youtubeの関連動画からたまたまその動画を再生しただけだし、そもそも音楽方面に嵩増しは疎かったのだから、知らないのも無理は無かったが、バンド名を聞いても嵩増しは特に何の感慨も起こらなかった。しかし、音にしか興味がないというのは、ある意味究極的にその音楽を愛しているということなのだろうか。嵩増しは、「まともがわからない」だけは聞き続けた。
 嵩増しは酒を飲みながら、「まともがわからない」を流すのが好きだった。彼は、アルバムを買わず、ほとんどFireTVを再生するだけだったが、次第に関連に表示される、歌謡曲にも引かれるようになった。
 彼が次に嵌まったのは、友川カズキの「サーカス」であった。中原中也に傾倒していたという友川カズキの、「ゆあーんゆよんゆあゆよーん」は、聴くものの心になんとも言えぬ余情を残すが、嵩増しも例外ではなかった。 思えば、酒に合う曲というのは、全てが全てというわけではないようである。特に、酒という飲料の性質は、文学的な情緒、つまり「クサい」ことに感情移入させる機能があるようにも思われ、どこか悲しさを感じさせる曲が酔っ払いの琴線に触れるのである。とかく酔っ払いは文学的である。なぜならこのように酒が文学的な飲み物だからだ。少し脱線してしまったが、歌謡曲という曲の体系は、ほとんど酒の場を想定して作られたものではないだろうか。日本が平成に入り、恋愛の歌が多くなったとき、歌詞はほとんど「君」「好き」「大切」など、紋切り型のものが多くなってしまった。だが、歌謡曲は、それよりも人の内面に根差した深いものが半分以上を占めている。もちろん、日本のポップを批判しているつもりはない。大森靖子椎名林檎、酒の席で聞くと大いに感慨深くなる。この前は、私は10feetの「風」を聞きながら、少年時代の感慨に耽ってしまった。しかし、歌謡曲はなぜこんなに昭和の酒場に似合うのであろうか。
 酒、場、歌の3つが、もしかしたら居酒屋の必要要素かもしれないと言うのは、私の持論である。ロックバーなどという業態があるように、歌は酒と合うというのはもう自明だが、現代の日本の若者には、このような空間は、もはや親父たちのみの居場所のように認知されているのではない。私は唱えたい。若者よ。居酒屋に来い。私はまた唱えたい。若者よ。歌謡曲を聞け、と。男と女の出会いと別れ。機敏。全て、歌謡曲が答えてくれる。劇団VOGAの団員は、最近、京都では、若者が思想談義を居酒屋で交わすことが少なくなったと言っていた。それには時代の趨勢というものが影響しているのもあるだろう。お金が無い、という意見も沢山あるだろう。しかし、私が居酒屋に行こうと大学の友達を誘っても、彼らはチェーン店には行くけれども、個人商店の、歌謡曲がかかっているようなところには、行きたがらないのである。来てくれよ。きっと楽しいのに。私の無念は空回りする。私が異常なのだろうか。そんな時、私は「まともがわからない」とぼやきながら、歌謡曲の流れる昭和風の居酒屋で、自棄になって酒を飲むのである。居酒屋の窓から見える外には車のライトがビュンビュンとながれている。京都の夜である。繁華街の夜である。私はもう一度「まともがわからない」とぼやいた。

自称進学校の高校時代

「自称進学校」という言葉がある。主に60~65の偏差値を持ち、厳格な規則、大量の課題提出などが特徴とされ、その厳格さに進学率が見合っていない高校のことを差す。私は、高校時代、この特徴が大いに当てはまる「自称進学校」というものにいた。それにしてもインターネットというものは助かる。どこかで、モヤモヤとした曖昧さがあると、誰かが言葉にしてスッキリさせてくれるからである。他には「思い出補正」という言葉にも、私は同様の感銘を受けた。

 この「自称進学校」であるが、規則や課題の縛り付けで、生徒たちのストレスが溜まるとされているが、私が在学中に感じた「自称進学校」最大の特徴は、この60~65という偏差値に集まる「層」であった。一般に、頭が良いゆえに人間性が足りない、根性が足りない、などのステレオタイプが当てはまるのは「灘」や「開成」という超進学校ではない。彼らは行動力があるし、膨大な知識の上に成り立った、素直さと寛容さがある。私が在学中に感じた自称進学校の生徒たちは「中学時代に一番になれず、しかし成績だけはそこそこ取り続けた、コミュニケーションの不得手な子供たち」というものであった。彼らはだいたい、中学までに、ヤンキーな層に押されて、クラスであまり目立たなかった、もしくは「二番手」に甘んじていた子供たちであり、周囲の顔色を窺うことで、何とか傷つかないように生きてきた。無論、これに限る生徒ばかりではないのだが、全校の半分はこれに該当していたのではないだろうか。以下、私が中学と比較して気づいた、高校時代のクラスメイトたちの特徴である

 

・喧嘩になりそうになると、「距離」を取る

・利益重視の人間関係

・見るからに怖そうな人間には近寄らない、逆に弱そうな人間は徹底的に侮る

・周囲の人間の視線を常に気にする(気にしてきた生徒が多いから?)

・関係に上下をつけたがる

・「高校時代はこんなキャラでなかった」と言う人間の多さ(高校デビューが多い)

・誤解や疑いが、大した異論もなく急速に浸透する

・度を越した下ネタ率の多さ

・上に関連するが、「楽しそうな高校生」のイメージだけが先行され、楽しさが実態に伴わないものが多い。

・陰キャラ、陽キャラの溝の深さ。互いのグループに関心がない

・偏見に流されやすい

 

そんなことはどこの学校にでもあり得る、という声が聞こえてきそうだが、私はこの「喧嘩になりそうになると『距離』を取る」だけは、この偏差値の層の子供たちにしかありえない特徴だろうと思っている。私は、あまり高校が楽しくなかった。皆が一直線にありもしない「最高の青春」に向かっているのが、何となく気持ち悪かったし、私自身、その幻想に一時期囚われていたという事実に、本当に頭を痛くさせられる。学校のつまらなさは、勿論私のコミュニケーション能力の不足なども、十分関係していたのだが、私の高校の、一種異様な雰囲気は、やはり学校という閉鎖空間と、偏差値の中途半端さが影響していたのではと、今では思っている。大学に上がり、地元から出ると、反面、大学の多様性とアカデミックな空気にすっかりと馴染んでしまった。私は大学では極力友達を作ろうとはしなかった。そのおかげで、私が講義を抜け出そうと、ぼっちで飯を食べていようと、ダサイ服で歩いていようと、誰も気にしない。とても気持ちが良い。

高校時代はまるで悪夢のようであった。今でも目が覚めて「ああ良かった…もう高校ではないのか」と、ホッと安心する時もある。ここでは上手く語れないが、私は高校時代の出来事が原因でもう地元に帰ることが出来ない。時々思い出しては、鼻血が出るまで自分の鼻を殴り、その傷の幾つかは顔にまだ残っている。他人の言動から思い出に繋がり、しばらく考え込んでしまうときもある。しかし、私はそれらの経験を無かったことにしたいとは思えない。時々、「過去にいつまでも囚われてはいけない」と言ってくれる人がいる。紋切り型の文句で、昔の私は、それを自立した大人の立派な発言だと思っていたが、今は違う。過去は囚われる、囚われないでは語れないし、過去は切り離すものではない。過去は間違いなくその人の一部であり、人間は自分を形作る過去から未来に向かうしかないのである。

安倍は辞めろ!!!!!

1月15日

 

 「安倍は死ね」という単語をよく目にする。見かけるのはもっぱらSNSなのだが、それだけに目を瞑ってみても、世間の安倍総理に対する風当たりは強いように感じる。今日、法律の講義で教授が猛烈に安倍総理を批判していた。この人はいつも安倍首相を非難しているし、その理屈や説明にも頷ける部分はあるのだが、俺にはどうしても安倍総理を嫌いになれないところがあった。

 アベノミクスがはじまったのは、ちょうど俺が受験勉強に明け暮れていた2013年の時だ。リーマンショックの痛々しいニュースで、世間の陰鬱な空気に辟易していた俺にとって、アベノミクスで上辺だけでも世間が受かれているような空気は、何だかようやく日本が上向きになったように感じられ、ひどく胸がときめいた。今までの首相に比べ、安倍総理は活動的ではないかと、頼もしくさえ思っていた。無論、政治に詳しくない小僧の戯言ではあるが、このアベノミクスの見かけだけの好景気は、俺が大学受験で志望校にひっかかった喜びに、上乗せされるようにますます俺の中で大きくなっていく。世間は好景気。俺の進路は上々。そして、この大学1年の頃に出会ったのがインターネットの世界である。当時、友達がおらず、どちらかというとインドア派だった俺は、SNSへの写真投稿を通じて、外に出る楽しさを覚え、また、そこで出会う今までに全く知り得なかった風俗嬢、メンヘラ、ドカタ、引きこもりなどの人間たちと触れ合うことにはとても新鮮だった。友達はいなかったが楽しかった。タイムラインに流れる「東京」の二文字が、「鹿児島」の三文字が、「徳島」の二文字が、俺を相対的に京都の大学生であることを自覚させてくれる。19歳という年齢、それだけで世界の主人公のような気分になった。大学という環境、インターネット、俺の大学入学は、前途多望なスタートを切っていたが、その裏で、世間では安倍総理の9条改正にはじまる、様々な暗雲が立ち込めているとは、何か出来過ぎたドラマのような気分にさえなっている。つまり、安倍総理は俺の青春の欠かせないバックグラウンドなのである。

 俺は安倍首相の写真を一枚だけ保存してある。アイスクリームにかぶりついている写真である。可愛いとインターネットでは評判だった。俺も可愛いと思う。安倍首相は、食べたい時は皆と同じように食べるのだ。安倍首相だってお腹が空くし、アイスクリームも食べたいのである。「安倍は死ね」「安倍はやめろ」。いつもいつも罵詈雑言をインターネットで浴びせられているとは、この一枚の写真からでは、全く想像出来ない。発言をすれば「死ね」と言われ、「辞めろ」と言われ、安倍は大丈夫なのだろうか。政治の知識も何もない俺は、つい、そんなバカげたような心配が浮かんでくる。今は大学4年生。次は大学院進学である。俺はメディアの道を志したいと思っている。当然、世情に疎かったので就活は失敗したが、きっと安倍が何故批判されているのか、何故辞めろと言われているのか、この大学院での勉強で理解していくに違いない。その時は俺も「安倍は死ね」と声高々に叫ぶのだろうか。「安倍はやめろ」とほくそ笑むような人間になるのだろうか。俺は安倍を嫌いになるかもしれない。けれど、アイスクリームの写真を見て安倍に抱いた感情は、きっと死ぬまで大切にしなければならない。俺はそう思った。