長岡天神の居酒屋

 僕のした単純作業がこの世界を回り回って。
 まだ出会ったことのない人の 笑い声を作ってゆく。
 そんな些細な生きがいが日常に彩を加える。
 モノクロの僕の毎日に少ないけど 赤黄色緑


 ミスターチルドレンの「彩り」を聞いたのは、はじめ、小学校5年生であったが、当時の幼い私からしても、この歌詞には何か世界を知る真理のようなものが含まれているように思った。事実、ミスターチルドレンの歌詞は全部そんな印象だった。ボーカルの桜井さんはきっと、全てわかっているに違いない。根拠のないことを私は信じ始めた。
 最近、自分のしたことが回り回っていくことを、実感することがある。それは、インターネットという空間において発生する。そして居酒屋でも発生する。モノクロの私の大学生活は、居酒屋巡りという趣味を通じて、多彩な色に彩られることになった。なんせ、この時、私は弱冠20歳であった。こんな歳で一度も入ったことのない居酒屋の暖簾をくぐっていくと、常連さんたちは私に酒やら豆腐やらおでんやら、実に学生にとっては高価な値段のものを奢ってくれるのだった。京都は、一般に陰湿な県民性が謳われているが、実は「学生の街」という、外から新しいものが入ってくることを良しとする一面がある。「学生さん」に代表される文化がそれだ。呑み屋の席において、たいてい学生は嫌な顔をされない。むしろ、歓迎されるのだ。私が京都に対して愛情を抱くのは、そういった文化に揉まれ、そして助けられてきたからなのかもしれない。そして今日も…私は京都の町へ呑みに繰り出した…。

 長岡京は人口8万の一介の地方都市である。阪急とJRの沿線が通り、一応阪急では特急列車が止まる。私は今日、ふと考えもなしにこの街へ降り立った。私が巨大な繁華街ではなく、このような地方都市で呑む時は、必ず理由がある。

・誰も知らない出会いを見つけたい
・何だか冒険してみたい
・病んでいる

 要約すると、居酒屋の、それも地方都市という更に不確定な要素があるところで、「レア」な体験がしたいのである。巨大な繁華街では、自分以外の大学生が大手を振って歩いているではないか。そんなところでかっこよく飲んでられるか。という、邪な気持ちもなくはない。


 私は、長岡天神の駅に降り立つと、まっすぐに長岡天満宮のほうに向かった。長岡天満宮前の池は、とても綺麗で、癒されるのである。池が透き通る様なエメラルドグリーンで、鯉が沢山泳いでいた。私はマイナスイオンをたっぷりと吸収すると、居酒屋の密集している駅前に戻った。
 長岡天神。人口は8万。少しネオンの輝きに物足りないが、人口8万はそこそこの街の規模であるのか、面白い店が長岡天神には多い。歩いていると色んな発見がある。私はひとつ、駅前のドトールより左の道をいった路地に、居酒屋を発見した。大衆居酒屋と書いてある。京都でも見かけた店だ。チェーン店だろうか。暖簾をくぐると、清潔な店内と、愛想の良いおばあちゃんが接客してくれた。まず、瓶ビール(550円)。こういった大衆居酒屋には瓶ビールが似合う。瓶ビールは風情がある。私は映画「トラック野郎」の第一作で、主役の菅原文太が、自分のトラックの中でサッポロ黒ラベルの瓶を傾けているシーンを、ふと思い出した。瓶ビールは昭和の雰囲気。いぶし銀の魅力。
 「はいお待ち。」
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頼んでいたおでんが来た。おまかせセット(480円)である。ひとつひとつがデカい。私は大根をほうばり、はんぺんの噛み応えのアクセントを感じながら、瓶ビールをコップに注いだ。店内にはおでんの湯気が立ち上っている。メニューの書かれた紙が、まるで暖簾のようにひらひらと、客が出入りする扉からの風に揺れている。これぞ居酒屋冥利に尽きる。既に私の酔いは回っていた。瓶ビールはもう半分しかない。続いてかき揚げ(280円)を頼んだ。これも美味い。おばあちゃんはせこせこと忙しなく動いていた。テレビでは今日のニュースが流れている。「シラスウナギの深刻な不漁により、価格が高騰。密漁が盛んに行われております。」



 二軒目は。二軒目は入り組んだ路地にあった居酒屋に入った。もう酔っているが、ここは実は前に一度来たことがあるお店。しかし、大分前であるし、きっと店主は忘れているかもしれない。
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「いらっしゃい。」
「1人です」
「あんた…前に来たことがあった?」
「はい」
「ほら~アタシ記憶力いいやろ?」

 しかし、前に来た時もそんなに喋ったことが無かったので、おばあちゃんは果たして私のことを覚えているかどうか、もしかしたら別の人間と勘違いしていないか、妖しいところであった。ここでは焼酎と、出し巻卵を頼んだ。店内は常連さんばかりである。たまに話しかけてもらえたり、こちらからも話しかけたり、楽しい呑みであった。


 帰り道。長岡天神駅に着く。電車に乗る。街が遠ざかる。光が離れていく。私は窓によりかかり、それを見ていた。長岡天神が離れると、また次の街が、駅が、町が、灯りが、見えてくる。灯りのひとつひとつは、小さなものだけれど、僕は今日、この灯りのひとつの中に、確かに存在したのだ。電車はスピードを増していく。電車はもうすぐで西院に着く。