コスモポリタン

f:id:MIKELANJYERO:20180205192225j:plain 今日、ファミリーマート祇園店に来た。イートインでコーヒーを飲み、窓に広がる京都の景色にしばし見とれる。ここには、イートインにも関わらず、外国人の観光客が大勢たむろしている。絶好の休憩所だからだろうか。とてもゆったりとは出来ない騒々しい雰囲気ではあるが、それもまた、京の風情。と俺は割り切る。そういえば、この間の居酒屋では、急増するゲストハウスやホテルが京都の景色を塗り替えることに、戸惑いを隠せず、憤慨していた、昔ながらの京都の人がいたっけ。外国人の観光客は、俺が京都の大学に通っていた頃には、既に沢山見かけたので、俺にとっては別段いつもと変わらぬ京都のような気もするのだが、やはり時代の変化には寂しさがつきまとうのか、古くからの馴染みの人間には、抵抗を感じるらしい。
 古代ギリシャには、ディオゲネスという哲学者がいた。随分な放蕩者だったらしいが、彼の思想は一級品だった。彼が唱えたもののひとつに、地球市民(コスモポリタン)の考え方がある。国や民族の垣根は関係なく、人類皆は地球の市民であり、自分はそうである。という考え方だったような気がする。記憶があやふやで半端な知識を語ってしまうことに恐縮だが、俺はこのような外からの変化と、昔ながらの部分を頑なに守り続ける人達を見ると、いつもこのコスモポリタンを思い出してしまう。我ら地球市民。何とか折り合いをつけて、割り切って、仲良く出来ぬものか…。しかし、この保守の部分も難しいのだ。新しいものへの抵抗は、おそらく人間の本能のところで起こっている。ゴチャゴチャと考えたところで、後ろのほうの席で、赤ん坊が泣き始めた。赤ん坊の泣き声が店内をつんざく。「赤ん坊はコスモポリタンなんて知ったこちゃないよな…。」俺はそう嘯いて、荷物をまとめた。